大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宮崎地方裁判所 昭和41年(わ)268号 決定

被告人 岩元瑞夫

決  定

(被告人氏名略)

右の者に対する暴行非現住建造物放火被告事件について、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件被告事件の証拠として取調べた鑑定人矢野正敏作成の岩元瑞夫精神状態鑑定書を排除する。

理由

第一、本件記録によれば、矢野正敏作成の岩元瑞夫精神状態鑑定書(以下単に鑑定書という)は昭和四一年一一月一五日の本件第一回公判期日において検察官より証拠調の請求がなされ、昭和四二年二月一四日の第五回公判期日において刑事訴訟法第三二一条第四項所定の書面に該当するとして証拠として採用し取調べをなしたことが明らかである。

第二、以下右鑑定書の証拠能力の有無について検討したあとを説明する。

一、(一) 同記録によれば、被告人は昭和四一年八月二一日午後一〇時三〇分頃宮崎県西諸県郡飯野町大字末永二、四二五番地加藤強方庭続きにある同人の実兄加藤重憲所有の牛小屋に発生した火災の放火被疑者として同月二三日午後三時一〇分逮捕され、次いで同月二六日宮崎刑務所代用監獄飯野警察署留置場に勾留され、その間、同年九月九日宮崎地方裁判所裁判官鈴木秀夫の発した鑑定留置状により同月一〇日から同年一〇月五日午前一〇時迄の間、精神状態鑑定のため宮崎県立富養園に鑑定留置されたこと、および宮崎地方検察庁検察官富田豊から右鑑定の委嘱を受けた医師矢野正敏において被疑者に対する前記被疑事件の行為当時および鑑定時における精神状態について鑑定を実施し、「(一)被疑者の現在の精神状態は心神正常。(二)事件当夜の精神状態を推測するに軽度の心神耗弱である。」と鑑定したことを認めることができる。

(二)、右鑑定書の記載は、一、鑑定事項、二、犯行の概要および鑑定嘱託の理由、三、生活歴、遺伝歴、四、身体症状、五、精神症状、六、調書よりの抜粋と関係者の証言、七、総括と説明、八、鑑定と八項目から成り、右の鑑定人の所見のうち精神症状の所見は鑑定書の記載自体から(鑑定書本文五三頁中三五頁を占めている)、分量的にも質的にも鑑定の重要な基礎をなしていることを窺知することができる。しかして主として右鑑定書中精神症状の項の記載を通じて、さらに必要に応じ他の証拠を総合して鑑定人が鑑定のため被疑者に対して採用した行動観察や各種実験の実施状況を検討することとする。右精神症状の項は、さらに、(一)望診、(二)問診、(三)精神検査、科学的検査の三つの部分から成つているが、その中には極めて注目すべき記載がなされており、その記載を通じて次の事実を認定することができる。すなわち、望診の部中、九月一七日および同月二七日の記載を総合すると、昭和四一年九月一七日鑑定人の質問に対して被疑者は返答しないので、鑑定人は、被疑者に対し看護人を介して飲酒をすすめたが、被疑者がこれにも応じないので、鑑定人は面会人が被疑者をそそのかして鑑定を阻害しているものと考え、面会謝絶のうえ、読書、談話、通信を禁止して個室に収容し、被疑者が退屈と孤独に陥つた時の精神状態を観察しようと計画して、翌一八日よりこれを実施し、この面会謝絶等の措置は同月二七日に至つて解除された事実を認めることができるが、記録を精査しても被告人が本件につき未だ被疑者の段階において裁判官の発した命令による接見交通の制限の処置を受けた事実を認め得る証拠は存在しない。しかして、右望診の記載中九月二三日の記載から、同年九月二三日沢重徳、児玉武夫の両名が富養園を来訪して被疑者との面会を強く求めたが、鑑定人の意思によつて面会を謝絶された事実を認めることができる。さらに右望診および問診の部の各記載を総合すると、被疑者が極力反対していたに拘らず、同年九月一八日、同月二二日、同月二四日、同月二五日、同月二六日の各日にはいずれも鑑定人は被疑者に対してイソミタール〇・五瓦宛を注射して(この注射は後記の如く看護人等をして行なわせている)、いわゆるイソミタール面接による問診を行ない併せて飲酒実験による酩酊検査や血中酒精濃度検査等の検査を行なつたことが認められ、又被告人の当公廷における供述によると、当時被疑者であつた被告人は明確に反対しているにかかわらず、或る時には看護人が二人掛りで、又或る時には看護人の外看護婦を交えた五、六人掛りで押えつけられて無理に注射をさせられた旨述べており、この注射が右イソミタールの注射であつたことは容易に首肯し得るところである。このイソミタール面接による問診は、前記認定の事実と照合すると、いずれも被疑者に対する面会謝絶(接見交通の制限)の行なわれた期間中に実施されたものであることが明らかである。

(三)、思うに、勾留されている被疑者に対する接見交通の制限は、刑事訴訟法二〇七条一項、八一条により、被疑者が逃亡し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるときに限り、検察官の請求に基づき裁判官の発する命令によつて行なわれるべきもので、裁判官であつても、右以外の事由、たとえば鑑定人の被疑者に対する行動観察や精神状態観察を容易ならしめる目的で、被疑者に対する接見交通の制限の命令を発することは許されないものというべく、況して、鑑定人が独断でかかる制限の処置を行うことは個人の人権を侵犯し到底許されるべきものではないといわなければならない。さらに、イソミタール面接は、近時医療行為として患者に対する精神療法のため麻酔分析として多く利用されているところであるが、たとえ本人(患者)が明確に反対の意思を表わしている場合でもそれが適法とされるのは、その施用者が単に医者であるとの理由からだけでなく、医療行為であるとの理由があるからに外ならない。しかし、たとえ医者であつても本人の承諾がない限り、それが明示的であると黙示的であるとを問わず、医療目的以外にイソミタールの施用は許されないものといわなければならない。従つて刑事訴訟法二二三条一項により鑑定の嘱託を受けた医師たる鑑定人が鑑定目的達成のために被疑者に対しイソミタール面接を施用する場合、本人の承諾がない限り、刑事訴訟法二二五条、一六八条一項により検察官、検察事務官又は司法警察員からの請求に基づき裁判官の発する身体検査許可令状を必要とするものと解するのが相当である。かように考え来ると、鑑定人矢野正敏の採つた被疑者に対する接見交通の制限たる面会謝絶の措置および被疑者の明示の反対の意思を無視して強制的に施用したイソミタール面接は、いずれも明らかに前記刑事訴訟法の規定に違反して行なわれた違法な措置と断ぜざるを得ない。この瑕疵は、只に刑事訴訟法の規定に違反するとというばかりでなく、人権の侵犯を伴う違法な手段によりしゆう集された証拠という廉で憲法三一条の規定の精神に反する極めて重大なものであつて、しかも前記の如く、鑑定人の望診、問診および精神検査、科学的検査の各所見は前記鑑定の重要な基礎をなすものであることに徴し、右鑑定を無効ならしめるものといわなければならない。

三、結論

よつて、鑑定人矢野正敏作成の前記鑑定書は証拠能力のないことが判明したので右鑑定書は本件被告事件の証拠から排除されるべきものと認め、職権により刑事訴訟規則二〇七条を適用して主文のとおり決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例